河島先生より 教師が自主的に学ぶ
地球であちこちで戦争をしている。人類は進歩しているの?。戦争をすると、がれきの山ができるし、人が死ぬ。日本も、中国や韓国とうまくつきあえていない。犯罪者の親は、それでも我が子を守る。卑劣な子どもでも、親は子どもを守ろうとする。学校は子どもを戦場に送らないと言っている。学校の先生は、子どもの親のようなもの。子どもを戦場に送らないために努力するのは当然のこと。
かつていじめの問題が起こったとき、教育委員会はけしからん。学力問題が喚起されたときも、学校や教育委員会が批判されてきた。それを通して、学校が次第に変わってきた。子どもは、育っていない。少子化で子どもの数は減ってきている。昔は一クラスの子どもの数はもっと多かったが、授業は成立していた。やりにくい時代になった。親の育て方に問題があるのか、教師の指導力がおちているのか?
運動会が春に開催されるようになった。学級が育っていない、運動の技術が伸びていないのに、なぜこの時期に行うのだろう。今は、春開催の学校の方が進んだ学校のように思われるが、本当だろうか?
授業も同じ。他のクラスより遅れているクラスが悪いクラスのよう思われるが、本当にそうだろうか?適当に済まして子どもが育っていなくても進度を合わせるだけでいいのか。どこかの教材で時間をとって、子どもを育てることがあってもいいのではないか。
現在の日本の教育はどんどん変わっている。教師の裁量権が失われている。教師は授業のプロなのに、その意見が通らなくなってきている。授業が遅れる裁量権も失われている。進度に全員が合わせないといけない。今の教師は自分の授業力を高める機会が与えられていない。教材が多くてどんどん進めている現状で、その教師が集まって校内研修をしてもあまり学ぶ余地がない。
そのような中では、こうした自主的に学ぶ機会を持つことが大事になる。
校舎の絵の下絵の指導。全員に遠近感のある絵を描かせるには。
人と人との対応のつくりかた。集中と拡散について